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2011年エベレスト清掃登山 , ヒマラヤ , レポート・インタビュー記事

平賀淳 エベレストドキュメントレポート 中編

2011年エベレスト清掃登山 , ヒマラヤ , レポート・インタビュー記事

2011/06/28

平賀淳 エベレストドキュメントレポート 中編

前編はこちらより

ニマ・ギャルゼン・シェルパ
野口健さんとニマ・ギャルゼン・シェルパ

 キャンプ2のキッチンテントに設置した無線が2011年5月17日午前6時を過ぎた頃から慌ただしくなってきた。無線のバンドは144.100に合わせている。合計4台の無線を各人員(ベースキャンプ1台。キャンプ2に1台。野口さんに1台。そして後続のクライミングシェルパに1台)に割り振っていたが、この無線のバンドは我々のチームだけではなく、我々がお世話になっている旅行代理店のエイシャントレッキングが組んでいるエコエベレスト登山隊(リーダーはダワ・スティーブン・シェルパ)についても同じバンドに設定していた。しかもこのバンドは、我々ネパール側だけではなくチベット側のエイシャントレッキングの隊にも同じバンドに設定したいたためチベット側の無線も入ってくる場合もあった。また無線と言っても

 ベースキャンプからダイレクトにエベレストの頂上と交信できないケースがほとんどで、キャンプ2を中継地点にしてやりとりをすることを前提にしている。ひとつの情報をキャッチボールすることが簡単なようで難しい。寒冷地に強い単三リチウム電池を四本使用しているが一日と持たない場合もあるため電池の消耗が進めば相手の声がかすれて聞こえ、無線が途絶えることもあるし、混線するとなおさらややこしい。

 午前六時になると、エコエベレスト登山隊のイギリス人の通信隊員で元海兵隊に所属経験のあるウィギー氏から無線が入った。キャンプ2、キャンプ3の状況を隊員やシェルパと情報交換をしているようだ。ウギィー氏が一日に数回、アメリカとスイスの天気予測を上部に伝えていていた。それらのやりとりの中で、突然ウィギー氏が野口さんの名前を呼んだ。「ケン、天気はどうだい?」との声に野口さんが反応する。風が強く雪が降っていることを伝える。まだ、キャンプ3にはタムティンさん、ミンマさんは到着していなかった。天気の状況は極めて曖昧な状況で進むべきか、否か。今シーズンの遠征で最も悩ましい時間を過ごしていた。野口さんの迷い、そして不安が無線から伝わる声に凝縮されている。


夜を迎えたエベレスト(カラパタールから撮影)
夜を迎えたエベレスト(カラパタールから撮影)

夕日に照らされるアマダブラム(カラパタールから撮影)
夕日に照らされるアマダブラム(カラパタールから撮影)

 朝7時を迎える頃、視界を遮っていた雲やガスはいつの間にかなくなっていた。ローツェの方面に双眼鏡を向けると米粒大の登山家が多くみえる。既にキャンプ4を目指しているグループもいれば、キャンプ2から3に向けて登っている登山家も多くいた。既に今日の活動が動きはじめている中で、野口さんは後続のシェルパを待ち、今後の状況を分析している。

 私は頭の中で今後の状況について考え始めていた。天候の問題もさることながら実は決定的に左右される問題がもう一つ残っていた。それは酸素の問題だ。この酸素とは酸素ボンベのこと。実際の我々の酸素ボンベの数は合計24本保有している。1本400ドル近いから1ドル100円で計算すると100万円近くになる。金額はさておき、各登山隊でも酸素ボンベの保有数は登山計画やシェルパの数によって違ってくる。この酸素ボンベをいかに有効に使うか。酸素は8000mを超える極限環境で活動する登山家にとって枯渇してはならぬ資源そのものと言っていい。酸素の終わりが遠征の終わりといっても言い過ぎではないくらい、この酸素の持つ意味合いが大きいのだ。

野口隊は既に19本のボンベをキャンプ4にデポ(預けるの意味)していた。残り3本をキャンプ3にデポしていたが、既に昨夜、野口さんが睡眠時に酸素を使用していたはずだ。そして残りの2本のボンベをキャンプ2にデポしていた。私は、昨夜、BCの小島君との定期交信時にエコエベレスト登山隊に、予備の酸素ボンベが何本あるか。もし酸素ボンベがあまっているならば、それをいくらで売ってくれるか、責任者と交渉にあたるよう指示を出していた。天候次第では、キャンプ3に待機するパターンもあれば、キャンプ4に2泊するパターンもある。登頂してから悪天候につかまってキャンプ4にさらに2泊、というパターンもありえるだろう。最悪のケースを想定し、そのための準備にぬかりがあってはならない。現時点においてできうる最大の準備とは酸素ボンベを1本でも多く確保し、野口隊の登山バリエーションのパターンを増やしておくことだろうと私は考えていた。天候と酸素との関わり合いこそがヒマラヤの最大のテーマなのかもしれないと想った。

 私は、9時の定時交信を待たずしてBCの小島君に無線連絡した。ボンベの数は何本か確保したか尋ねると、「エコエベレスト登山隊もインド人が予備の酸素ボンベを使用することになっているから余りのボンベはありません」という返答だった。その答えは、つまり追加で確保できる酸素ボンベがないことを意味していた。しかし、まだあきらめているわけではない。先に登頂した登山隊の酸素ボンベがあまっている可能性もあるし、あるいは遠征をあきらめてボンベ未使用のグループもあるかもしれない。いずれにしてもここは冷静に状況を分析しなければならない。

 午前7時半過ぎに野口さんから無線が入った。2名の後続シェルパと合流したという。そして野口さんから突然「やっぱり今からサウスコルに出発します」との声。シェルパと合流してから決断するという野口さんの決断に異論はなかったが、上部に向かう決定をした野口さん自身が納得していない感が無線から響く声に感じられた。鼻息の荒いシェルパ2名がキャンプ2から上部に上がってきて、そこにニマさんと交わった時にシェルパ特有の化学反応があったのかもしれない。私は科学的な根拠をベースに天気予報の話をするが、シェルパは大真面目にラマカレンダーを広げて登頂日を強調したりする。彼らにもちろん悪意はない。大安の時に入籍したい、仏滅の時は結婚式を挙げない、と考えている日本人の感覚と似たり寄ったりで、願掛けのようなものと私は理解している。また、シェルパは多くの登山隊が山頂を目指す日を、よい日(グッドラックな日)と決めつけていた。既に5隊以上の登山隊がキャンプ4に向けて出発した事実がある。こんな「よい日」に私たちが追随しないのはおかしい、となってしまう。このある種の感覚の違いや認識の違いを理解するのは難しい。当たり前だがシェルパにも家族がいる。5回以上エベレストに登頂しているシェルパにも大きな不安があるのだ。最後の最後で、自分の信条、信仰、信念みたいなものが噴出してきた時、実際、頭ごなしに否定できない時があることも事実だ。たしか、99年の野口さんがエベレストに初登頂した時もシェルパと上記のような認識の違いから大ゲンカしたことがある、と聞いたことがあった。

 私は無線から伝わる野口さんの言葉に「了解しました」と返答した。確かに天候の問題、そのことで上部に必要以上に停滞すれば酸素ボンベが切れるかもしれないことは野口さん自身が誰よりも理解し把握していることだろうし、その野口さんが信頼するシェルパ3人と合意をした上で、上部にあがっていくということであれば、この野口さんが決断した決定を私自身も尊重したいと考えていた。


 午前9時。キャンプ2に待機するクライミングシェルパの21歳で1児のパパであるハクパさんとクムジュン村出身の45歳、テンバさんがキャンプ3のテントを撤収して帰ってきた。既に遠征は終盤を迎えている。あと24時間以内に登頂の報告もあるだろう。キャンプ2も4月初旬に比べれば随分と暖かくなった。キッチンスタッフが水やお湯をつくるために氷河をピッケルで砕いていた頃に比べて、今は氷河が解けてあちこちが小川になっているため簡単に水が作れると喜んでいる。私は、キッチンスタッフのカルさんが作るお湯でコーヒーを作って飲んだ。キャンプ3からキャンプ4(サウスコル)を目指す長打の列(渋滞しているようにもみえる)が目に入る。今頃、野口さんも上部で戦っているだろうことを想像していた。また、ニマさんがうまく撮影できているだろうか、とも考えていた。すると、野口さんの声が無線に入ってくる。「今、イエローバンドのところにいます、どうぞ」とさすがに息があがっているようだ。続けて「南峰の方、だいぶ風が強いから、やっぱり明日、アタックかけられなかった場合、キャンプ4に待機することになる。そうなった場合、酸素が足りなくなる。だから今、キャンプ2にある予備の酸素をハクパさんかテンバさんにキャンプ4まで上げてもらえないか。酸素が足りなくなった場合、3名のシェルパ全員が登れないかもしれない。そうなった時に、シェルパ1名なのか、2名なのかをサーダーに相談して決めておいてほしい。つまり全員でアタックできなかった時のアタック体制を考えてください」というものだった。先の事を考えれば、残念だが1名分のシェルパの酸素ボンベを使う可能性が浮上したのだが、それは最善の策にも思えた。
サウスコルから下山中の野口さんとニマ・ギャルゼン・シェルパ
サウスコルから下山中の野口さんとニマ・ギャルゼン・シェルパ

ルート上で倒れこむ登山者
ルート上で倒れこむ登山者

 続く12時ぐらいに再び野口さんから無線が入った。「えー、大きなミスを犯してしまいまして、酸素マスクが壊れていました。今、ニマさんに直してもらい毎分4リットルの酸素を吸うことができているから今は大丈夫です」というものだった。突然の酸素マスクの事態に私自身も返す言葉もみつからず、現在は順調に酸素を吸えているということでよろしいでしょうかと聞くと、今は大丈夫です、という返答であった。それらのやりとりを音声録音してから初めて大きな不安に包まれたが、今は大丈夫という声になんとか救われた。しかし、本当に大丈夫なのだろうか。あれから3時間が経過しようとしている。この間、まったく酸素を吸えずにいたのだろうか。マスクをつけている分、余計に酸素を吸えていない可能性もある。確かに先程からの無線で、本来なら冗談のひとつも飛ばしてみせる野口さんが無線のやりとりにしては要件のみにしぼった話し方といい、私自身もしっくりと来ていなかったのは、気のせいではなかったのだ。カルさんとハクパさんにも野口さんのやりとりを説明した後、すぐに小島君に確認の意味を込めて無線でやりとりした。報・連・相(ほう・れん・そう)とはまさに今日のような日に使いたくなる。
 
 ヒマラヤの落とし穴。昨夜、ミンマさんから聞かされていた話が思い出された。いつ、どこに落とし穴があるかわからない。実は、私の実家の父は、絶対安全主義の持ち主で、信号を渡る時や歩道を横切る際も右、左、右をみて、もう一度、左をみて歩きながらさらに途中で右をみるぐらい用心し、飛行機は落ちるから乗らないという極端で生真面目な父親である。そんな安全について徹底している親父が昨年の12月にトラックからの荷卸しでバラスンを崩し転倒して腰の骨を折る大けがをしたのだ。父は、その時、しきりに「落とし穴」という言葉を口にし、どこに危険があるかわからんものだ、と言っていたことを思い出していた。

 キャンプ2に待機中の私にとっては、ただただ野口さんの連絡を待っていた。キャンプ3から6時間もすればサウスコルに到着するだろうという予測はできていた。無事にたどり着くこと、その先に登頂の成功があるのだと心の中で祈っていた。


 午後2時を過ぎた頃、無線が何か混線したかと思うと小さく野口さんが私の声を呼んでいるように聞こえた。待機中のシェルパはお経を唱えていて、このかすかな音が聞き取れていないのか、無視している。小さく平賀、ジー、平賀、ガーと混線と電波状況の劣悪な環境なのか原因はわからないが確かに野口さんの声が聞こえてくる。あわててアンテナをエベレスト上部の方へ向けて録音の準備に入った。野口さんですか、混線していますので3分待ってください、と伝える。英語、シェルパ後、ネパール語、ドイツ語がからまって混線しているので、一旦、無線を離し録音をスタートさせる。既にサウスコルに到着したタムティンさんの慌ただしいシェルパ語で会話がはじまった。もちろん私は何を言っているか理解できない。そして私の隣でじっと聞き入っているカルさんは手にした数珠をポンと足元に置いてから一言「ケンさん、カンバック(もどってくる)」と言った。
 
 一瞬、頭が真っ白になった。なぜ、野口さんからの無線から始まって、キャンプ4にいるタムティンさんから野口さんが下山するという報告を受けねばならないのか。そんな順序など本来どうでもよいことなのだろうが、頭が混乱しているのでさっぱり状況がつかめない。さらにタムティンさんと野口さんと共に行動しているニマさんとのシェルパ語によるやりとりが続く。どうやら不測の事態があったらしい。しばらく野口さんに応答を求めたところ、突然野口さんから声がした。「え~と、結局、マスクが壊れてキャンプ4手前のジェノバ(岩場)を超えられませんでした。」との一報。240あった酸素が今、200なんだよね。この六時間でほとんど酸素が吸えていない計算になるんだよ。自分の体力でおりれるうちにおります、どうぞ」と話すだけでもしんどい様子が伝わってきた。この時点で緊急モードに意識を切り替えて安全に下山することだけに専念しなければならない。私は、了解しました、くれぐれも気を付けて降りてください、と返答した。

 一体、何があったのか。(詳しくは、野口さんのブログに明記しているので割愛させて頂く)様々な説明は安全に下山してからでも遅くはない。無線はまだシェルパ同士でガーガーとやりあっていた。ベースキャンプに待機中のサーダーはなぜ下山するのか、まだ状況がつかめない中での下山は納得がいかない様子であったが、切迫した状況であることに変わりはない。

 すべては現場にいる最前線の野口さんとニマさんが決めたこと。まさか酸素マスクが壊れているとは。無事に下山してきてほしい。その一点だけに気持ちを込めた。既にミンマさんとタムティンさんはサウスコルで待機している。これがヒマラヤの落とし穴という奴か。キャンプ2にいる私は、双眼鏡でイエローバンド沿いに視線を這わせ、黒い点にもみえる野口さんの姿を探していた。

後編へ続く

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