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2011年エベレスト清掃登山 , ヒマラヤ , レポート・インタビュー記事

平賀淳 エベレストドキュメントレポート 後編

2011年エベレスト清掃登山 , ヒマラヤ , レポート・インタビュー記事

2011/07/09

平賀淳 エベレストドキュメントレポート 後編

平賀淳 エベレストドキュメント 前編 
平賀淳エベレストドキュメント 中編

仲間達 - コピー
 仲間たち 

 野口さんとニマさんの下山が決まると私はハクパと共にキャンプ3のとりつき付近で二人を迎えることに決めた。黒い点がまだルート上に確認できる。野口さんとニマさんの姿だろう。とにかく無事に下山してきてほしい。祈りを込めながら歩いていた。


 時刻は午後5時を過ぎていた。ルート上でイギリス隊やアメリカ隊のメンバーとすれ違う。「登頂おめでとう」と声をかけると、笑顔が返ってきた。登頂に成功した人におめでとうと声をかけることは容易だが登頂に失敗した人にどのように声をかけるべきなのだろうか。私は歩きながら悩み始めていた。

 周囲はガスで次第に暗くなり、

雪が降ってきていた。凍えるような寒さを肌で感じる。とりつき付近で待っているとハクパさんが声を上げた。野口さんらしき登山家が下山してきている姿を確認できたという。よろよろと体を左右にゆらしながら一歩一歩下山する様子がはっきりとみえた。その後ろを同じくロープにしがみつきながら歩くニマさんの姿がみえる。


 野口さんが帰ってきた。私は心が躍った。しかし、野口さんに対し最初の一言についてなんと声をかけてよいか迷っていた。お疲れ様ですという言葉も何か違う気がしていた。下山を覚悟した人に向かって返す言葉とは何だろうか。酸素マスクをつけながら下山してくる野口さんに向かって私は「おかえりなさい」と一言声をかけた。もちろんビデオカメラを回しながら。すると野口さんは、どうも、と静かに言った。そしてすぐに後ろから下山してきたニマさんに向かってサンキューと言って握手した。ニマさんの顔は真っ黒に日焼けしていた。不完全燃焼は野口さんだけではなく、サポート役のシェルパとて同じである。


 野口さんは、酸素マスクが壊れてしまったこと、そのことで登頂できなかった責任をニマさん自身が背負うことがないように気を使っているようにみえる。しきりにニマさんの肩を励ますように叩いては労をねぎらった。ニマさんはガクンと肩を落としながら目に涙を貯めていた。


 私は二人のやりとりを静かに見守っていた。すると野口さんが「いや~エベレストはおなかいっぱいだよ」と笑いながら言った。そして上部のできごとを笑顔で語ってくれた。いつもの野口節が戻ってきたようだ。


 キャンプ3からキャンプ2に戻る途中、酸素マスクをはずしたまま下山した。上部でいかに致命的なミスを犯したのか。野口さん自身、話をしながら悔しさが湧いてきているようだった。途中、足が止まっては嘔吐した。7700m付近でまともに酸素を吸えない状態を5時間以上過ごしたのだ。そのダメージが肉体に与える悪影響は計り知れないだろう。 ニマさんは再び野口さんに酸素マスクをつけて歩くことを勧めた。まだ油断するなということだろう。標高が6200m近いとはいえ、野口さんの肉体は既に限界を超えているようだ。

 

よろめきながらキャンプ2に到着した時刻は6時30分を過ぎていた。コックのカルさんが暖かいお湯を沸かして待っていた。「バラサーブ(隊長)、大丈夫ですか?」と日本語で声をかけた。食堂テントに入るとぐったりと腰を下ろした野口さんがスープを口にした。


 用意された肉野菜炒めを突然、ムシャムシャと口に入れて食べ始めた。朝から何にも食べていないらしい。しかしながら野口さんにダメージが残っていることは事実だろうが、これだけ食べることができるし話ができるのであればひとまず安心することができる。


ヘッドランプの光でエベレストの文字
ヘッドランプの光でエベレストの文字

 無線は常時、鳴りっぱなしでベースキャンプ、キャンプ2、そしてサウスコル(キャンプ4)の交信が続いていた。まだキャンプ4にミンマさんとタムティンさんがいるのだ。私は野口さんに彼らの今後を確認した。すると野口さんは、ミンマさんは山頂を目指すという。野口さんはサポート役のシェルパのミンマさんが単独で山頂を目指すことに許可を出したのだ。そのシェルパとは私が高所撮影をお願いした若手シェルパのミンマさんのことである。かつてエベレスト最速登頂記録に挑戦する男性シェルパや女性シェルパのエベレスト挑戦を金銭的にサポートしてきた野口さんにとって彼らの可能性を信じ、応援したい気持ちがあるという事を私は知っていた。野口さんは上部でミンマさんと別れる際に「お前がもしエベレストに挑戦したいという気持ちがあるならば、挑戦してもいいよ」と声をかけたと言う。その後、キャンプ4に滞在するミンマさんから登頂したいという無線連絡が入ったというのだ。


 私はまだ野口隊の遠征は終わっていないと思っていた。次のステージはシェルパのシェルパによるシェルパのための挑戦である。外に出ると山頂付近の雲は厚かった。例えクライミングシェルパといえど悪天候に勝てるわけではない。自分で判断して無理だと思えばアタック途中だとしても、自ら的確な判断を下し、下山してくるだろうと思った。


 野口さんは食事をすませると、しきりに頭が痛いと言った。高山病に違いはないだろうが、かなり疲労が蓄積している感じにみえる。すぐに自分のテントで休んでもらったほうがいい。野口さんはお休みといってテントの中に入っていった。


 夜8時を過ぎた頃、ベースキャンプから無線が入る。小島君とサーダーのダワタシさんであった。野口さんの体調は大丈夫か?と心配そうに尋ねるので、かなり疲労はあるが今のところ問題ないと私は答えた。ダワタシさんはいまだこの酸素マスク(レギュレーター)の故障について納得がいかないようだ。続いてニマさんはダワタシさんに上部で起きた出来事を詳しく説明している。私もテントに入って休もうとすると外のテントで嘔吐の声がする。もしやと思いすぐに野口さんのテントに駆けつけると、テントの入口に顔をだして嘔吐している野口さんの姿。我々はすぐに背中をさすった。そしてしばらくすると、再び酸素マスクにつけるレギュレーターがパンと音を出して壊れた。予備のレギュレーターの破損である。すぐにニマさんのレギュレーターを借りて再び酸素を吸ってもらう。高山病の恐ろしさを痛感した夜だった。


 5月19日朝8時。げっそりした野口さんがテントの前に立っていた。悔しさをにじませた表情がエベレストの上部をみつめている。顔色は昨夜に比べて良くなっているようだ。シェルパは、早朝からキャンプ2の片づけを始めていた。すべて撤収して今日中にベースキャンプに戻るという。私は野口さんと下山の準備を始めた。2時間もするとすべてのテントは撤収された。無線でミンマさんがアタックしたことを聞いていた。今頃、山頂付近にいるころだろうか、と考えているとサウスコルからタムティンさんが下山してきた。頬は痩せこけていたが元気そうだった。野口さんは握手で迎えるとタムティンさんも笑顔で返した。残すは、ミンマさんが無事に登頂して下山してくれることを祈るのみ。タムティンさん曰くミンマさんは大きな登山隊に交じって山頂を目指しているから特に心配はないという。既に二度、登頂に成功しているミンマさんにとって三度目のエベレスト挑戦である。きっと映像でも記録していることだろうし無事に下山したらいろいろと話を聞いてみたいと思っていた。

 
 午前10時。野口さんは「よし、下山しよう。もうここに来ることは二度とないかもしれないけど、後悔もない」と言った。キャンプ1、ベースキャンプのルートを黙々と歩いた。途中、ヌプツェの山肌を覗いた。あの5月初旬に経験したヌプツェの雪崩の遭遇も今となっては笑い話にできる。クレバスのハシゴから改めて氷の中を覗いてみる。この落とし穴という落とし穴をひとつひとつクリアして歩いてきたこの2ヶ月の遠征をかみしめながら。下山途中、野口さんが言った。こんな贅沢はない。二ヵ月もヒマラヤと向き合える贅沢な時間。シェルパという仲間たちと共に山頂を目指すことができる大切な時間。こんな贅沢なことはない、ということだった。私は、確かに、と頷いた。

 
 ベースキャンプに近い場所まで下山するとサーダーのダワタシさんと小島君がコーラとお菓子を持って待っていた。野口さんは、「エベレスト、プギョ(おなか一杯の意)」と言って笑顔でダワタシさんと握手した。サーダーは、野口さんの体調を一番に気にしていた。


ベースキャンプ滞在最後の夜
ベースキャンプ滞在最後の夜

 私も小島君と上部の出来事を話しながらコーラを飲んだ。体と心の緊張がコーラを飲んで急に緩んでいく。今回の遠征でもいろいろと危ないことはあったが、こうやって事故なくベースキャンプに帰ってきたのだからよしとしなければ。小島君も初めてのベースキャンプマネージャーでありながら2ヶ月の間よくやってくれた。本人もやりきった充実感が表情に出ている。


 タルチョがひらめくベースキャンプに到着すると野口さんの盟友でコックのデンディーさん、同じくキッチンスタッフのマエラさんが待っていた。デンディーさんは、野口さんが登頂できることよりも生きて帰ってきたことを喜んでいた。彼は野口さんと18年の付き合いである。デンディーさんは、「僕にとって野口さんは人生そのもの。ネパールは貧しい国だ。カーストもあれば、庶民に平等にチャンスもない。そんな中で自分は18年前に野口さんと出会ったことで人生を前向きに考えることができるようになった。だから野口さんがエベレストに登らなくてもいいのだ。生きていることが一番だから」と語った。

 その夜、食堂テント内で野口さんと小島君と私と3人で夕食をとっていた。すると、突然、デンディーさんがマエラさんと共に手作りケーキを持ってきてくれたのである。登頂に失敗して落ち込んだムードが一瞬で暖かい光景に変わった瞬間だ。デンディーさんからの気持ちは、すべてこのケーキに込められている。我々がケーキを食べていると、ダワタシさんがテントの中に入ってくる。そして一言。「ミンマさんが登頂に成功した」。我々にとってこれ以上ない嬉しいニュースである。今回の遠征は、これですべてが終わったのだ。


お気に入りのTシャツでパシャリ - コピー
 野口さんお気に入りのTシャツでパシャリ


 5月21日。いよいよベースキャンプを去らねばならない日。野口さんのインタビュー撮影を行った。今回の遠征の総括の話やエベレストは、これが最後の遠征になった、という話だった。私は記録しながらも、これが本当に最後の挑戦になるのだろうか、と考えていた。それは2007年にエベレスト山頂時の撮影中、野口さん自身が「エベレスト卒業」と語っていたことを思い出す。正直、これでエベレスト挑戦はないものと思っていたが、実際は、2007年に卒業したはずなのに2011年に再び挑戦しているのだ。気持ちを整理する時間も必要だろうが、誰よりも山と向き合っている自分に誇りを持っている野口さんだからこそ、必ずエベレストのベースキャンプに戻ってくるに違いない。そう、挑戦に入学も卒業もないのだ。


 久しぶりに快晴の空の下、私は今回の遠征最後の
1枚の写真撮影の準備を進めた。野口さんとシェルパの仲間たちの集合写真である。青空と無数の落とし穴が続くアイスフォールをバックにして、すべてのメンバーに感謝の気持ちを込めて私は1枚のシャッターを切った。
                                (完)

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