2012年冬ヒマラヤ

2012/12/23

ヒマラヤの暖炉

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半年ぶりのヒマラヤ。シェルパ達とも再会を果たしキャラバン開始。今回の山旅の目的はあるようでない。強いて言えば目的を作らないことが目的か。全ての登山に意味を求める事ばかりが登山ではない。気がついたら山に登っていた。それでいいんじゃない、と最近感じるようになってきた。7大陸最高峰登山、エベレスト清掃登山、シェルパ基金、気候変動によるヒマラヤ氷河の融解問題、マナスル山麓での学校建設などなどいつもテーマを見つけてはヒマラヤ通いしていたが、もちろんそれはそれで十分に意味はあったし達成感もあった。何かに没頭する時期も人生の中には必要なこと。しかしそればかりでは自由な発想が乏しくなってしまう。ただでさえ目まぐるしいシャバの生活では心身共に身動きが取れなくなっているわけで、ヒマラヤまでそうなってしまってはいけない。この辺りのバランスがとても大切だ。

したがって今回は大義名分となるテーマはなし。実際にカトマンズに到着するまでは目的地は「エベレスト街道」としか決めていなかった。シェルパ達とどこに登ろうかと話している内になんとなく決まってしまった。そんなものです。「エベレストを撮る」これが唯一のテーマかもしれませんが所詮は趣味でやっているだけ。

エベレストの玄関口であるルクラ村からトレッキング開始。2年ぶりのエベレスト街道に懐かしい面々との再会もありそんな時には昔話に花が咲く。初めてヒマラヤに訪れてから今年でちょうど20年目。訪れた回数は把握していないが恐らく50数回目。故に実に色々なドラマがあった。それこそ恋愛も破局もこのエベレスト街道で経験をしたり。そしてヒマラヤ登山を続けていれば悲しい仲間との別れもある。

20年来の相棒であるデェンディー・シェルパと暖炉を囲みながらその1つ1つの過去を振り返ってみるのも今や恒例行事だが、実に多くの仲間を失ってきたことか。あいつの最後は雪崩だったか、それとも滑落だったか、どのような状況下での遭難だったのか、即死であったか、それとも苦しみながら逝ったのか、また発見された時に体の損傷の具合まで実に事細かく。振り返るだけ辛い過去でありながらもそれでも振り返る。そんな事に果たして意味があるのかないのか、正直分からないけれどそれでも振り返る。時間の経過とともに死んでいった仲間たちの記憶が遠のいていく。振り返ることによって彼らの存在をもう一度取り戻そうとしているのかもしれないが本当のところ分からない。

ただ我々にとってはこの自然体な会話も傍(はた)からしたら一種異常な会話に映るのかもしれない。何せ具体的な「死」が多すぎる。そして仲間の死を語り合うには僕らはそうはいってもまだ若い。30~40代の男たちが暖炉を囲み死んでいった何人もの仲間について語り合い、そして彼らを思い出しては懐かしむ。ある時は暖炉を囲みながら死んだ仲間の話をしていたその彼の事を、その数年後に別の彼とやはり暖炉を囲みながら振り返り懐かしがっていた。そんな事を繰り返し経験しているとふと想像がついてしまう。僕の仲間連中が暖炉を囲みながら僕の話をしているシーンを。人の死に対し誰しもが明日は我が身と思っていたほうがいい。

人生、一寸先は闇なわけで、今生きているこの瞬間がどれだけ奇跡の連続か。でも、生き死にといった極めてヘビーな会話をしているのにみな日常会話の延長線上かのように実にサラッとしている。決してウエットではない。何故ならば皆それぞれが必死に生き、必死に死んでいったからだ。故に会話に悲壮感がない。同じ死にも前向きな死と後ろ向きの死がある。シャバの人は遭難事故の度に「登山家は命を粗末にする。人騒がせだ。人命軽視だ」などといとも簡単に批評してくれるがそのような次元で我々は生きてきた訳でもなく。

そのデェンデイーが同じ死についてとても悲しそうに話すのは自殺した兄のこと。遺書を残すことなく逝った兄についてはほとんど話そうともしない彼が兄について「兄を理解していたつもりだったが実は何一つ理解していなかった。何十年も兄弟やっていたのに。兄とは近くて遠かったんだ」とポツリ呟いた。同じ死でも何かが、そして明確に違う。

僕がこの年で戦争経験者の方々と話が合うのは何故か。勿論のこと冒険と戦争とでは「死」に対し意味合いが異なるかもしれないが、しかし生き死に対し極めてリアルな世界で生きてきたが故に共感できる死生観、人生観があるのだろう。

遺骨収集活動を始めたのも帝国軍人であった祖父の影響もあるがしかしそれだけではない。もしそうだとするのならば祖父の孫たち、つまり僕の兄弟や従兄弟たちみなが遺骨収集活動を行っていることになる。祖父の影響に登山活動を通した死生観が加わり僕を遺骨収集活動に駆り立てているのだろう。

 ヒマラヤで過ごしていると今ここでダラダラと述べたような事を理屈ではなく感覚的にごく自然に感じられるからいい。「生き死に」はとても身近で自然なことなのだ。年がら年中考えるテーマでもないが、年に何度かヒマラヤの暖炉を囲みながらボンヤリと感じてみるのもそう悪くはない。

2012年12月23日 ナムチェバザールにて 野口健

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