この20年、毎年のように年末年始をヒマラヤで過ごすが今年ほど雪が降った年があっただろうか。僕が訪れたクンブ地方でも12月中旬にまとまった雪が降り4000M付近では場所によっては膝下まで積もっていた(冬のヒマラヤは乾季でありそれほど雪が降らない)。
そして年を越したその時から四日間、降り続けアイランドピーク登山前に高所順応でカラパタール(5545M)に向かっていた僕らは雪とブリザードに三日間閉じ込められていた。僕がカラパタールに登頂した4日にはゴーキョピーク手前でトレッカーが一人凍死。それほど寒かったのだが、その時、遠く離れたマナスル山麓のサマ村もクンブ地方以上の大雪の被害が発生。
アイランドピーク登頂後、サマ村の学校校長のビルバードルから「1日から雪が降り続け村人は家から出られない状態です。腰まで雪が積もっていて村から降りる事もままならない。昨日、外国人トレッカーがヘリで救助されたが、村人は閉じ込められたままです」と。その数日後、「村人のヤクが雪崩によって50頭以上が死んだ。行方不明のヤクは含めるとヤクの犠牲は100頭を超えているのではないか」と。そして深刻なのは雪によりルートが塞がれてしまったため食料が上がって来ないとのこと。陸の孤島状態だったのだ。
サマ村に学校を建て、今年の春から森林再生プロジェクトも始まろうとしていた矢先の災害。アイランドピーク登山を終えナムチェバザールに向かって下山しながらビルバートルと連絡を取りつつ、大型ヘリで食料を空輸できないかヘリ会社へ問い合わせを行った。残念ながら大型ヘリは確保できなかったが、小型ヘリを二日間に分かってピストン輸送すれば約3トンの食糧が届けられるとのこと。ロッジを除くとサマ村には164軒の家がある。2~3週間をしのげれば、なんとかなるとの情報から一軒辺り20キロの米と5キロのダルバートを届ける事に。
食料の調達はカトマンズの代理店に依頼し我々は一路カトマンズに向かって下山。1月14日、ルクラ村からカトマンズまで飛行機で飛び、カトマンズの空港でチャーターヘリに乗り換えてサマ村へ。
上空から見えるサマ村はすっかり雪に覆われていた。ヘリが着陸すると救援物資を求めて村人が殺到。一瞬、パニックになりそうだったがなんとかビルバートルがコントロールしてくれた。
ヘリがピストン輸送している間に村の状況を把握しようと歩いたが場所によっては腰から胸付近まで積もっていて学校に到着するまで一時間以上。幸いな事に校舎の被害はなかったもののビルバートル校長の話では「もう二カ月は学校の再開は難しいだろう」とのこと。
ビルバートル校長は「私がサマ村に戻ってきて約20年。これほど雪が降ったのは始めて。昨年の秋にはアンナプルナ地域で大雪により約50人のトレッカー達が雪崩や凍死により犠牲になったばかりだ。ラジオのニュースでは温暖化の影響ではないかと紹介されているが、これから雪の被害が増えていくのではないかとても心配だ」と話す。
結局、食料のピストン輸送は二日間、9回行われ我々もサマ村泊。夜は村長役のジグメラマや組合のメンバーと今後の学校のこと、そして春からスタートする予定の森林プロジェクトについて意見交換が行われた。この雪により3月からスタートする予定であった森林再生プロジェクトも4月からになった。
一泊二日の短い滞在であり、もっと村の状況を知りたかったが日本帰国前日であり、また帰国翌日に名古屋で講演会があるので後ろ髪をひかれる思いでサマ村とお別れをした。
ヘリに乗り込もうとしたその時に多くの村人が集まってくださり「ありがとう」「ありがとう」と何度も何度も手を握ってきた。学校の子供たちも駆けつけてくれ「また近いうちに会おう!」と再会を誓った。
一泊二日の短い滞在であったが、村人との絆は深まった。そして何とかこの雪の被害から一日も早く立ち直ってほしいと心底に願っていた。帰国後もビルバートルと連絡を取り合いながら出来る事は何でもやりたい。