谷口けいさんをしのぶ会。あれから約3カ月。今だに現実を受け止められないでいる。
リアリティがないのだ。僕がカトマンズに到着したその日にけいさんは遭難。遭難の知らせを受けたのはカトマンズの夜。
「まさかけいさんが」という思いと「ついに来るべか時が来てしまった」との感情が絡み合った。
先鋭的な山登りを続けていれば時間の問題でいつかは死ぬ。一部の例外を除けば。
けいちゃんのよりハードな登山スタイルにこんな日が訪れてしまうのではと怯えていた部分もあった。
我々、山屋は「自分は山では死なない」と感じつつも、仲間を山で失う度に、次は自分の番かもしれないと密かに感じてしまうものです。
そして心の奥底で覚悟を決める。
人は山での遭難に色々と言う。「命を粗末にする」だとか。しかし、僕らの考え方は違う。
山では感覚的に死を感じる事がある。死を感じれば感じる程に「死にたくない」と感じるもの。
逆を言えば死を感じなければ「今、自分は生きている」「もっともっと生きたい」とは感じにくいのかもしれない。死を感じた分だけ生に対する執着心が強まるものです。
けいちゃんも過酷な山々に挑み続けながら死の世界で必死に生きてきた。
けいちゃんのキラキラした目、そして時に見せる険い眼差しが生き様を物語っていた。
自分と向き合い自分に正直に生きてきたけいちゃん。
何もこんなに早く逝く事もないだろうに。しかし逝ってしまったものはどうしようもない。
受け止め、そして諦めるしかないのだ。
そして残された我々はけいちゃんの分も必死で生きること。生きて、生きて、生き延びる。それしかない。
山では死んではいけない。特に親よりも先に死んではいけない。残された僕らは決して山では死なない。
今日、けいさんを見つめがら心に固く誓いました。
ヒマラヤに戻った時に空に向かって話しかけますね。また一緒にヒマラヤに登ろう。また一緒に。
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