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産経新聞連載「栗城さん、1つぐらい諦めてもよかったのに・・・」

2018/06/07

産経新聞連載「栗城さん、1つぐらい諦めてもよかったのに・・・」

本日6月7日、産経新聞に野口健「直球&曲球」が掲載されました。
ぜひご覧ください。

2018年6月7日 産経新聞掲載
「栗城さん、1つぐらい諦めてもよかったのに・・・」
また一人、仲間が山で逝ってしまった。ヒマラヤから帰国したその日、栗城史多さんの訃報(5月21日、35歳で死去)が報じられた。エベレストを単独無酸素で挑戦中の遭難だった。

4月下旬、エベレストのベースキャンプ手前の氷河の中、栗城さんとすれ違った。その日は薄っすらと粉雪が降り、霧に覆われるモレーン(氷堆石)の彼方から影が現れた。栗城さんだった。その日の栗城さんは、とても小さく見えた。「健さん、元気そうですね」と小さな声が聞こえた。言葉の変わりに息遣いによる会話が続く。手を握り「無事に降りてきてね」に「うんうん」とちいさくうなずいていた。

別れ際、振り返り遠ざかっていく栗城さんの後ろ姿をカメラに収めようと構えたが、シャッターを押せなかった。その行為自体に意味をもってしまうことが怖かったのだ。「いつも通り戻ってくるさ」とつぶやいてみたが、その言葉は霧と共にモレーンの彼方に消えていくようでむなしかった。

彼が20代前半の頃「僕も7大陸最高峰を登ります。単独、無酸素でエベレストに登ります」と声をかけてくれたのが初対面。多くの学生が同じようにやってきたが、大半は「やってみたい」と言うだけ。「やってみたい」と「やります」は、まるで違う。彼は、はにかみながらも「やります」と宣言した。

自ら厳しい条件をつけ、エベレストに挑み続けるが、敗退を繰り返す。凍傷により手の指を9本切断。それでも挑戦を続ける彼に「単独か無酸素か、どちらかを捨てるべきだ。捨てることによってつかめるものもある。このままでは登れないどころか命を落とす」と話した。彼はいつも小さくうなずくだけで、翌年には同じスタイルでエベレストに向かった。

世間にも大きく注目され、引くに引けない状況まで追い込まれていたのかもしれない。登山家は、無事に登り、生きて帰ってくるためには自分を客観視しなければいけない。心の弱さが招いてしまった遭難だろうとも感じる。登山スタイルを変えても栗城さんの魅力が失せることはなかったはず。人生、一つぐらい諦めてもよかったのに、と。
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