淳くんの一周忌。
山の世界に足を踏み入れてから、30年強。もう、何人、仲間を山で失ったのか、もう数えることも辞めました。ただ、仲間を失った分だけ自身が老いていくのがわかります。それだけ疲弊します。
山は僕に多くの事を与えてくれましたが、同時に多くを奪っていきました。その度に「先に逝った仲間の分も生きよう」と言い聞かせもしましたが、どこかで無理がある。けいさん、淳くんを失い、その事を確信致しました。彼らの分を生きるのではなく、彼らの眩しい程に生きた生き様を「胸に切り刻んで埋めていく」という方が近いのでしょうか。
特に淳くんを失った喪失感は到底埋められるものではなく。この1年間、時が止まってしまったかのような。あの世で淳くんに合わせる顔がない程、ダメダメな一年でした。
淳くんの夢を見ますが、しかし、その夢に淳くんは現れてくれません。夢の中で、いつも、暗闇で何枚もの扉を開いては淳くんを探している夢ばかり。
まだ成仏していないのかな...とも感じたり。または、僕が現実を受け入れられてないのかもしれません。
ただ、生き延びた者は明日を生きていかなければならない。死ぬという事にも覚悟が必要なように、生きるという事にもまた覚悟が必要なのだろうと。
「覚悟」という言葉が最近、頭の中で木霊します。「淳くんの分を生きる」というよりも、自身の生き方に覚悟を求められていると感じています。仲間を失うとは、そういう事なのかもしれません。正直、何度も繰り返されてきましたが、僕にはよく分からないまま。ただ、「覚悟」という言葉がその度により一層強く頭の中を木霊します。
また、先に逝った仲間に恥ずかしくない生き方をしなければならないとも。
当ウェブサイトに掲載されている記事、写真、ビデオなどの無許可転載、転用を禁止いたします。
Copyright(c) Office NOGUCHI KEN. All rights reserved.Never reproduce or republicate without written permission.
Powered By Advenproducts Inc.