「何歳まで山に登りますか?」 MBSのニュースでスタジオ生出演した際にアナウンサーから向けられた質問にとっさに「43歳までです」と答えた記憶があります。続けて「植村直己さんは43歳まで登っていましたから」と。二十歳の僕は確かにそう言った。スタジオの景色も、アナウンサーの美しい笑顔もまるで昨日の出来事のように景色として脳裏に刻み込まれている。
しかし、気がつけばあれから30年の月日が経過し「43歳まで」との宣言も...いつの間にかうやむやに。
山は本当に多くのことを僕に教え、与えてくれました。あの時、山との出会いがなければ「僕はどのようにこれまでを生きてきたのかな」と想像してはゾッとさせられます。
しかし、同時にその山であまりに多くを失ってきました。山で失った分は山で取り返すしかないのかな。よく「どうして山に登るのですか?」と質問されますが、必死に脳みそを捻り出したながらもっともらし事を言ってみたり...。本当のところ本人にもよく分からないのです。今、僕がここにいる本当の理由もやっぱり分からないのです。
ただ、ヒマラヤにいるだけなのです。かつてのような「何が何でも登りたい!」という燃えたぎる心はもうないです。
代わりに、まるで雨がヤクの毛に弾きながらも、静かに馴染んでいくような、そんな感じなのかもしれません。
たまたまなか、それとも年齢の積み重ねがそうさせているのか。
最近、同級生たちから「いよいよ俺たちも50だな」「折り返しだな」とLINE。しかし、折り返し地点があるのならば、そんなものはもうとっくに過ぎ去っていて、今更、振り返っても遥か彼方。
早くから山に登り始めていたからかな。折り返しを意識し始めたのは、二十代半ばから後半。否応なく死を身近に感じ続けてきたからかもしれません。
いずれにせよ、その割に、まだ生きています。
「人生五十年」とは一昔前のセリフ。昭和生まれの僕には馴染みのある言葉。だからこそ折り返し地点をその頃に意識したのかもしれません。
いずれにせよ、明日からの命は1日1日が「儲けもの」。
それにしても、50を迎えるその日に4200mで雨に打たれたのは、やっぱり体に堪えたかな。
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