シェルパから「ケン、一緒にエベレストでゴミ拾いしない?」とゴミ拾いのお誘いの連絡がきた。
2000年から4年間、エベレストのチベット側とネパール側で大規模な清掃活動を行ったが、その時に活動を共にしたシェルパ達からだった。
あの頃は僕が彼らを雇い清掃活動を行なっていたが立場が逆転した。僕にとってはこの事が何よりも嬉しかった。
2000年、初めてカトマンズでエベレストの清掃活動を発表した時だったと記憶しているが「ケンはカーストが低いのか?」とブラックジョークだったと思うがネパール人記者からそのような言葉が聞こえた。
シェルパ達もゴミ拾いに対し当初は複雑な感情を抱いていたようだ。中には「清掃することを家族にも話せない」と話すシェルパ。特に人の排泄物に関しては「運び下ろすのはあり得ない」とシェルパ頭から伝えられた。そこは日本隊員(田附隊員がうんこ隊長に就任)が担当する事にした。
しかし、清掃活動を通して少しずつ理解の輪が広がった。エベレストの活動を終え自分たちの村に戻ったシェルパ達が村の清掃活動を始め、また村人を集めて一緒にゴミを拾ったりしながら清掃する理由を伝えた。ゴミの捨て場を作りゴミの分裂まで始めた。後からその事を知り心底に驚き、また嬉しかった。
あれから24年。今ではシェルパ達が中心になってエベレストの清掃活動を行なっている。
僕が97年に初めてのエベレスト(チョモランマ)はベースキャンプ含めゴミだらけだった。標高8000mの最終キャンプまでが清掃範囲であり最終キャンプに至っては「酸素ボンベの墓場」と呼ばれている状態であった。酸素ボンベは4年間で500本を下ろした。ゴミ回収量は7.7トン。
大きいゴミだけではなく小さいゴミも徹底的に拾い集めた。小さなゴミだからと放置するとその周辺にゴミが捨てられていく。「ゴミがゴミを呼ぶ」のだ。
今回のエベレスト清掃活動はモンスーン期間であり上部は雪崩とクレバスのリスクが高いと判断し清掃範囲をベースキャンプとアイスフォールの取り付き周辺に限定した。
総勢11人で2日間行われた清掃活動で300キロ強のゴミを回収。アイスフォールの取り付きでの活動だったからか古いゴミが氷河の中からたくさんでてきた。
日本製の缶詰も幾つも氷河の中からでてきたが、たがおそらく20〜30年前の日本隊のものだろう。
中身が入っている「ニューコンビーフ」を発見。中身入りである。「菌のない場所だから食べても大丈夫だよ!」と皆んなに伝えたのに誰1人食べてくれなかった。という僕も遠慮しましたが。
キャンプ1などで捨てられたものが永い年月をかけ氷河とともにベースキャンプ付近まで移動してきたのだろう。
それこそ、以前行った清掃活動のときに1950年代のパンやチーズが潰れた木の樽からでてきた。カチカチになっていたが少しだけ口の中で溶かして食べてみた。味は全くなかったが、食べられた。ちなみに翌日、お腹は大丈夫だった。
また、これもかなり古いアイゼンを見つけた。登山靴とアイゼンを結びつけるものが革であった。ベテランのシェルパは「1950年〜1960年のものではないか」とのこと。ちなみにそのアイゼンはオーストリア製であった。
2000年からスタートしたエベレスト清掃活動。よく24年間も継続してきたものだ。
今ではすっかり「清掃活動」が定着した。以前は「カースト云々」と話していたシェルパたちが今では中心となりエベレストのゴミ拾いを行っているのだ。
故にシェルパ達からの誘いが何よりも嬉しかったのだ。改めて「変化」を感じ感慨深いものがあった。
2024年9月8日 ロブチェ村にて
数十年前なものと思われるコンビーフの缶詰、中身が入っていた!