ヒマラヤにいると無意識のうちにふと淳の姿を探している自分に気がつく。
彼はよく先回りし遠くから歩いている僕を撮影していた。トレッキング中に少し先を見まわしては淳の姿を探してしまう「癖」は長年に亘り染み付いたものだ。
我に返り、軽く首を振りながら「そうか、淳、やはり、お前さんはもういないんだったな」と呟いては深くため息をついた。今となってはその「癖」だけが取り残されてしまった。
「人の一生は重い荷物を背負い遠い道のりを歩くようなもの」とはよく表現したもので、生きている以上は何かを背負い歩き続ける。先に逝った仲間たちの事を思いながら不謹慎ながら「先に逝った奴はいいな。もう役割を終えたのだから」と感じてしまう事がある。
もちろん彼らはもっともっと生きたかったはずだ。悔しかっただろう。さぞかし無念であっただろうに。しかし、残された者の人生は、蟻地獄から決して這い上がれないように苦しみが生涯まとわりつく。鋭利な刃物で心の奥底を掻き混ぜるように抉られていく。回復する事のない傷が幾つも、幾つも。潜んでいた痛みが、ふとした拍子にまるで昨日の出来事のように新鮮な記憶という痛みが全身を駆け巡る。
そう、忘れかけていた頃に。いや、忘れようと努力していた矢先なのかもしれない。まるで忘れることを許してもらえないかのような。そして、失った仲間の数だけ背負う荷が重たくなる。その度に節々がキシキシと悲鳴を挙げる。そして荷が重くなるのと同時に歩まなければならない道のりが遥か彼方に霞む。
「先に逝った仲間の分を生きる」とはよく登山家の使う言葉だが、まさにこの感覚なのかもしれない。
生きていれば当然、得ることもある。しかし、ある時から失うことの方が増えてくる。得られる時に貪欲に得ておかなければ人生の後半戦は苦しいものになるな。歩きながら、ふと、そんな途方もない事を考えていた。
無意味な捉え方かもしれないが、しかし、まだ「得られる」何かがあるはずだ。具体的には分からないが、少なくともそう感じられている。「まだ得られる」というこの感覚は重要な生命線なのだろう。これを見逃せば次はない。この感覚を求めなくなったのならば、静かに幕を下ろす頃合いだろうか。それはそれでいい。ただそれまでは精一杯もがいでみたい。
ヒマラヤを歩きながら、
「淳め、やたらと面倒な宿題を押し付けやがって。何でお前の分まで俺が生きなきゃならないんだ。まあ、見とけ。あと一つ、二つはやってみせる。でも、お前には絶対に分け前はやらん。勝手に先に逝きやがってバカヤロウ」
と呟いていた。
2024年9月10日 ロブチェにて
Photo:Akane Matsumoto