カトマンズ入りしてもターメ村の情報は錯綜し不確かなものばかりだった。
何故ならばターメ村の近くにある水力発電所が洪水被害により発電機能を喪失していたからだ。ターメ村だけではなく、エベレスト街道で最も大きな村であるナムチェバザール村やクムジュン村、クンデ村も停電。停電によりアンテナも機能せず通信が途絶えたのが情報が錯綜した一番の理由だろう。
そして水力発電所の復旧作業がいつ始まり何時ごろ終了するのかその目処も経っていない。
「数週間で復旧する」という人もいれば「半年以上はかかる」という意見も。
いずれにせよ「完全復旧」までにはかなり時間がかかるだろう。
ヘリでカトマンズからナムチェバザール村へ飛んだ。ナムチェバザール村からは徒歩移動でターメ村へと向かう。
事前に災害時の映像を見ていたので心の準備はしていたものの原型を留めていないターメ村の姿に音は遠のき、衝撃のあまりか思考が現実に追いつくのに少し時間を必要とした。
ターメ村はネパール大震災から復興したばかり。なんと酷く理不尽なことか。
洪水というと大量の水が押し寄せるイメージだが、ターメ村で目にしたのは水によって上部から押し流されてきた土石流の跡。大量の泥や砂に巨大な岩。
以前、ターメ村の学校にランドセルを届けに行った事があり、その校舎に向かったが大半は破壊され、また跡形もなく完全に姿を消してしまった施設も。辛うじて建物だけが残された教室内を覗いたら大量の泥や何本もの巨木が教室を突き破り室内は根っこで覆われていた。そして土石流の色なのだろうか、辺り一面が白に近い灰色に覆われていた。まるで白黒の世界に迷い込んでしまったかのようだ。
村人の多くは既に避難しており、被災地の真ん中を歩いたが人影はほとんどなく。
ただ1人、ポツンと立ちすくんでいる男性がいた。
話しかけると「ここに自分の家があった」と。その辺りを見渡しても家があった形跡は殆どない。
災害時、彼は出かけていたのだと。洪水の知らせに慌ててターメ村に戻ったもののしばらく近づける状況にはなく。災害翌日にやっと家のあるところに辿り着いたが跡形もなく消え去っており、途方に暮れしばらく何も考えられなかったのだと。
それから窓枠や外壁の一部を見つけては黙々と一箇所に運んでいた。
人は耐えられる悲しみの限界を越えると感情を捨て去る事がある。それは自身の心を守るための防衛本能からくるのだろう。彼の表情はその全てを物語っているようだった。ごく僅かに残された粉々に砕けた自宅の残骸を集めていたのは何を意味していたのだろうか。再利用というよりも「自分の家がここにあったのだ」という形跡や証を残したい一心であるように僕にはうつった。
あの白黒の世界の中でただ1人黙々と黙々と。
その彼と少しの時間を共に過ごしたが別れ際、気がついたら抱きしめていた。無責任な意見でしかないが「諦めてほしくない」と心の奥底から感じていた。
2024年8月30日 ディンボチェ村にて
【後半】はこちらより
https://www.noguchi-ken.com/M/2024/09/post-2018.html
ヒマラヤ洪水基金、詳細はこちらより
https://peak-aid.or.jp/news/2024/09/himalaya-flood-fund.html
流された自宅をみて、呆然と立ち尽くす村人
美しい村は、あっという間に濁流にのみこまれた
濁流に襲われた小学校の校舎、幸いにも児童は全員逃げる事ができた