【前編】はこちらより
https://www.noguchi-ken.com/M/2024/09/post-2017.html
土砂崩れが発生すれば斜面に近いエリアは被害が大きいが、地盤だけで考えれば山の斜面は砂地ではなくゴツゴツとした岩や石が多く地盤が硬いのだろうと素人ながらに感じていた。
今回のターメ村入りで驚いたのは洪水が到達していない部分がまるで液状化現象のように地面が波打ち家屋がそれに合わせ斜めに傾いていたことだ。また、地面の至る所に亀裂が入っており、村人の話では日に日に亀裂の幅が広がっているとのこと。
洪水が発生した直後にはなかった亀裂が数日経ってから割れ始めるケースも。
ターメ村を上空からみると、洪水が直接襲った上部は壊滅的な被害。洪水が直接、押し寄せなかった下部の方は一見被害がないように見えたが、歩いてみたら上部とはまるで違う被害があった。
つまり、ターメ村の大多数の家屋が住める状況ではない。流されなかった家屋も地面から大きく傾き、どのように再建していくのか...。
そして最大の懸念は地盤が弱いこと以上にターメ村の上部にはまだいくつもの氷河湖が存在していることだ。
上空から確認した人の話では「小さな氷河湖が複数あり今回はそのうちの2つが決壊したようだ」とのこと。
これから専門家の調査が行われ明らかになっていくと思うが、ターメ村はこれからも絶えず氷河湖の決壊の脅威に晒され続ける事になるだろう。
イムジャ氷河湖やチョロルパ氷河湖のように一つの巨大氷河湖ならば水門を建設し、また水位が上昇すれば横からパイプで湖水を逃す方法がある。
しかし、小さな氷河湖が複数ある場合、どのような方法で決壊防止対策をするのか。方法はあるのかもしれないが、かなり困難である事に違いない。
同じ場所で村を再建するのか、または、集団移住という形で新天地にターメ村を再建するのか。ターメ村の近くに果たして適した土地があるのだろうか。
最も残酷な選択肢は村人が家族ごとにバラバラに分かれて他の村々へと移住していくこと。感情を抜きに考えれば最も安易かもしれないが、しかし、故郷であるターメ村の消滅を意味する。
今回は幸いな事に昼間に災害が発生した事で音に気がついた村人が丘に駆け上り間一髪で助かったこと。
あの被災現場を見て犠牲者ゼロは本当に奇跡だったと強く感じた。仮に深夜に氷河湖が決壊していれば村人の多くが犠牲になっただろう。
今後、村人の意思を尊重しながらネパール政府が主導しターメ村の再建プランをどのようにするのか判断を下すのだろうが、極めて困難はプロセスを踏んでいく事になるだろう。
また直ぐに結論が出るとも思えない。つまり、被災者は同じ場所で再建を目指していいのか分からず宙ぶらりん状態が続く事になる。そこが前回のネパール大地震の時との違いだ。
村人が今最も必要なのは生活費。テントなど寝る場所を確保できたら次に必要なのは現金。
あの大震災の時も村人を最も助けたのは現金だった。ただ、それを実現させる為には危ない橋を渡らなければならなかった。
仮に現金を配布するならば手渡し以外にないと考えている。「どこぞこを経由する」というのは僕のやり方にはない。
やるのならば以前もそうであったようにひと家族ごとに手渡しをする。
あまり詳細を語ることはできないが、リスクは大きい。ネパール人スタッフをも巻き込んでしまう可能性がある。あの時は2人して腹を括り覚悟しながらの活動であった。
帰国直後に在日ネパール大使に呼び出された。大使は「あなたが多くのネパール人を助けた事に敬意を払いたい。現場での事は私たちは何も見ていない」とにこりと笑顔で手を差し伸べて下さった時には思わず目頭が熱くなった。
被災地支援をしているとその時々のニーズが変わっていくが、現場に行かないと本当のニーズはわからないもの。
様々な考え方があり、時に批判される事もあるが、しかし、被災者の皆さんが最も求めているものに応えたい。
いずれにせよ順序というものがある。まずはソーラーランタン、衣服や食料など物品配布から始めたい。ターメ村の再建案が決定したらまた次のステップとして熟慮に熟慮を重ねていきたい。
2024年9月1日 チュクン村にて