平賀カメラマンの死から早3年。思えばこの3年、平賀と共に過ごしてきたようなものだ。谷口けいさんの時もそうであったように。
遺族からお預かりした遺骨をヒマラヤに埋葬するのだがどこがいいのか。
遠征中はザックの中に小さな木箱に収められた遺骨を忍ばせていたが中々、見つけることが出来ないでいた。
けいさんの時も2回目の遠征でやっと見つけた。そこはマナスル峰山麓で一面がお花畑だった。そして村から離れており、とても静かだった。
森の中で木々の合間から雄大なマナスル峰の姿が時より見せてくれた。
やっとけいさんにピッタリな場所を見つけることができたと肩の荷が降りる思いであった。また、けいさんとの長い旅を終えた様で寂しくもあった。
それから決して遠くない年月が経ち、次は平賀...。
やはり小さな木箱に詰められた遺骨をザックに忍ばせ3年。
平賀の人生にとってエベレストの登頂は何より大きな意味があったように感じる。
2007年にチベット側から一緒に登頂したが、下山後、彼から何度も何度「連れてきてくれて有難うございました」と。「助けられたのは俺の方だよ。それに何だよ、いきなりかしこまって。高山病か?」と冷やかしてみたが、それでも深々と頭を下げてきたのには心底に驚いた。
ただ、それだけ平賀にとってエベレスト登頂は人生をかけた目標だったのだろう。
かれこれ、約20年間、平賀とヒマラヤに登り続けてきたけれど、エベレストに登った時から平賀の新しい人生が始まったように感じていた。
その平賀の遺骨をどこに埋葬するのか、自分にとって極めて重要な役割であった。
エベレストが見える場所がいいと、エベレスト街道を歩きながらいつも辺りをキョロキョロと見渡していた。
エベレストのベースキャンプやその裏にあるカラパタールという山ではどうか。
しかし、ベースキャンプは氷河上あり平賀もそんなところに埋葬されたら風邪をひくだろうとやめた。また、カラパタールはシーズンにでもなればトレッカーが行列を作る。エベレストはよく見渡せるが如何にも賑やかで落ち着けないだろうし、トレッカーにオシッコでもひっかけれたらたまったもんじゃない。カラパタールもやめた。
近くにトゥクラの丘というものがあり、そこはエベレストなどで遭難した遭難者の遭難碑が辺り一面に並ぶ。表現は難しいが死者の怨念の様な空気感に包まれていると僕には感じられやはりやめた。
そして日本に一緒に帰り我が家の神棚にその小さな木箱はおかれた。実は僕としてはそれがよかった。
しばらく成仏せずに娑婆の世界を彷徨っていて欲しかったから。酒を飲みながらその木箱に向かって話しかけたことも。「もうしばらく俺の家にいろよ」とね。それで一年。
そして、今回のヒマラヤ遠征では再び平賀と共にキャラバン。エベレスト街道の最も奥にあるチョーオユBC(ネパール側)に訪れた。
手前までは訪れた事があったが、一番奥までは今回が始めて。モンスーンシーズンということもあり、誰1人いない。
この辺りはいくつもの氷河湖があり、大半はエメラルドグリーン。しかし、チョーオユBCの畔にある氷河湖は琥珀色。いくつもの小川がその氷河湖へと繋がり、辺りは高山植物に溢れている。印象的なのが湖畔の砂が細かな真っ白な粒。
手を伸ばせばチベットであり、いつだったか、この手前まで来た時に見たエベレストの角度がチベット側からの光景であった。夕陽が北壁を真っ赤に照らしていた。平賀にとってエベレストはチベット側から、つまり、チョモランマなのだろう。
そして何よりもここの「気」が清らかに済んでいる。この世に天国というものが存在しているのならばここではないかと思わせるだけの世界観がある。
ようやく、平賀のヒマラヤでの住処を見つけた。
チョーオユーBCの氷河湖畔に無数ある岩の一つの下。その岩はまるで屋根付きの様に頭が右に傾いているように見えた。ちょっとした雨ぐらいなら防げる。
シェルパの中でも最も平賀と仲の良かったデェンディ・シェルパに「ここに平賀の遺骨を埋葬したい」と告げた。
デェンディは何かに取り憑かれたかの様に「オンマニペメフム」を繰り返しながら唱え素手で掘り始めた。穴を掘り、石でその木箱を囲い、平らな石をその上に敷き、隙間には苔や土を実に丁寧に詰めていく。自分が手助けできるような雰囲気は毛頭なく「ここは俺にやらせてくれ」と無言の訴え。いや、途絶えることのないデェンディの「オンマニペメフム」が辺りを包み込み神々しさを感じ思わず見とれていた。
全てが終わり、彼にお礼を告げようとしたその瞬間にデェンディの嗚咽が聞こえた。心の中に溜め込んでいた感情が決壊したかのように嗚咽から次第に体を震わせながら声をあげて泣いた。
デェンディが背中を小さく丸め震わせながら口に手をいれ必死に耐えている姿に僕も一気に3年前のあの時に引きずり戻された。
帰り際、デンディは自分が作ったそのお墓に「バイバイヒラガ」と吐き出す様に言った。
僕は葬式で平賀と対面していたが、デェンディはこの3年の間、ずっと胸の中に平賀を抱え込みお別れできないまま苦しんでいたのだろう。
淳、お前さんは、本当に大変な事をしてくれたもんだ。お前さんが最も悔しい思いをしたのだから責めはしないが、しかし、遺された者たちの苦しみというものは、先に逝ったものより逃れることが出来ない分、深く刻まれていく。時間のみが解決するのかもしれないがそれはどれくらいの時が必要なんだい。
お前さんを新居に残し山を降り始めたら雨が降り始めた。
モンスーンのヒマラヤだからなんら不思議ではないが、この雨、悲しみを煽ってくるようでいて、でも同時に答えのない苦しみを清く流してくれた。とても冷たかったけれど救われたんだ。
けいさんの時と同じでこれでお前さんとの旅も終わりだ。寂しいけれどこれでお別れなんだ。
また、いつの日にデェンディが作ったお前さんのヒマラヤの家に訪ねる。それまではサラバだ。
2025年9月11日 チョーオユBCにて