チョーオユーBCからゴーキョ村に戻り3日振りにWi-Fiが繋がり驚かされたのはカトマンズが大混乱に陥っていたこと。
これにはシェルパ達も驚き様々な未確認情報が飛び交った。ロッジの中には複数のトレッキングチームがいて各チームのシェルパ達が皆で集まり「ああだ、こうだ」と大騒ぎ。
外国人トレッカー達はポカンとしてる。
僕は5日ほど前だったかカトマンズの友人からLINEで「ネパール政府がSNSを禁止するという話がある」という連絡を頂いていた。それに対し「しかし、これをやればネパール国民の怒りが政府に爆発しそう...SNS規制は表現の自由を規制することにもなるので、極めてデリケート案件ですよね」と返信していた。
従ってネパール政府がSNS規制に踏み切るとは思っていなかった。しかし、そのSNS規制がきっかけで動乱が起きてしまった。しかも、過去にない程に激しいレベルで...。「本当にSNS規制をやったのか、なんて愚かな」と呟いていた。
同時に動乱に対し「またか」といった漠然的な印象を抱いていた。何しろあのマオイスト(毛沢東主義者)という共産ゲリラとネパール政府による長年に渡る内戦の最中に何度もネパールに訪れていたからだ。
ある時にヒマラヤの山奥をキャラバンしていたら森の中からそのマオイスト連中が突如現れ銃を手に「金をよこせと」と迫ってきた。
「何故に私が金を出すのか正当な理由を示してもらいたい。それがなけば金を払う理由が見つからない」と伝えた。
些か理屈っぽかったのか間に入っていた私のシェルパも困り果てていたが、とりあえず「原理原則」というものがある。しばらく膠着状態が続いた。
一緒にいた平賀カメラマンが「そうは言ってもそろそろ支払った方がいいと思います」と。
「なんであんな連中に金を払わなきゃならないんだ。品格のなさを見れば単なるチンピラだろ」と。
ただ、シェルパも「もう払った方がいい」と迫ってくる。そのシェルパに「支払う正当な理由が見つからないので僕も困っているのだ」と伝えたその次の瞬間に平賀カメラマンが「あっ!!!健さんが拘っているのはつまり対価の問題ですよね。ならば、彼らへのインタビューを交換条件にしてそのギャラとしてお金を払えばいいんじゃないですか」と。
「なるほど、それは名案だ!」と平賀の意見にストンと腑に落ちた。所詮は所詮なりにも意見は持っているのだろう。そこには興味があった。
「インタビューを引き受ける事が金を払う条件だ」と伝えたら呆気なくOKが取れた。というか妙に喜んでいる...。
平賀は急ぎ三脚をたてインタビューを開始。20分ぐらいの動画撮影だったと記憶している。
何やらゴチャゴチャと話していたが好奇心を刺激されるようなものではなかった。
話の後半に「我々も地球温暖化を懸念している。我々マオイストが政権を取れば日本の政府と温暖化対策を連携したい」と。
シェルパの通訳を聞きながら「よう言うわ」と呆れ返っていた。
我々が氷河の融解について現場でリサーチしていた事を連中に伝えていたからそれに合わせたのだろうが、そんな事よりも1番、傑作だったのはインタビュー後に数百ドルを請求してきたので「領収書が必要だ」とこちらから要求したらノートの紙にマオイストと雑に書きそこに金額を添えてそのページを破り渡してきた事だ。
「ほぉ、ゲリラでも領収書は切るものなのか」と感心させられた。また別れ際、記念写真を撮ろうと言われ皆で記念写真をパシャリ。なんなんだ、コイツら。でもニコニコしながら写真に収まる姿があどけなく、まあ、いいかと。
毛沢東主義を掲げているらしいが、彼らが毛沢東について詳しく知っているとは到底思えなかった。文化大革命の事も知らないだろう。何故ならインタビューで毛沢東について1秒たりとも語っていなかったからだ。
恐らくマオイストは田舎の少年らを洗脳し又は誘拐し勢力を拡大しているのではないか。
アフリカの少年兵のように。
だとするのならば、あの銃口を向けてきた彼らもまた被害者という事になる。
それにしてもゲリラは正規軍と比べ銃の持ち方も身の着こなし方など、なんてだらしがないものかと、どうでもいい印象が強く残った。
カトマンズに戻れば内戦の影響は激しくマオイスト側は「バンダ」を宣言。いわゆる「全ての店は営業してはならぬ。営業したら店を放火するぞ」と脅してきたのである。
我々はその度にホテルに閉じ込められた。軍は催涙弾をバンバンと市内地にも打ち込みホテルの中にいながら咳き込み目を真っ赤にしていた。
タクシーも走っていない中、帰国日を迎えてしまう。何故かこの日に限って軍が護衛する空港バスが運行されなかった。
こんな状態でも国際便は飛んでいるのだ。地上と違い飛行機は逞しいものだと妙に感心したが、しかし、同時に乗客の置かれた状況には関心がないのだろうとも感じていた。
リキシャーの主人にそれなりの金を渡しリキシャーに荷物を積み込みそのリキシャーの主人と2人で空港までリキシャーを押して歩いた。
辺り一面が煙に包まれている。至る所でタイヤが燃え、また、頭上をレンガや石が飛び交っていた。ヘルメットを被っておけばよかったとヒヤヒヤしながら裏道、裏道で約2時間かけて空港に到着。思わずそのリキシャーの主人と抱き合って喜んでいたのがまるで昨日のように覚えている。
ある時にはエベレスト街道もマオイストの脅威が迫り玄関口のルクラ村には砂袋があちこちにつまれ国軍の機関銃が並んだ。いわゆるトーチカだ。
夜の7時以降は外出禁止令がだされていたが、ある時、デェンディ・シェルパの家でついついチャンとロキシーを飲みすぎて気がついたら軽く1時間を過ぎていた。
酔いにふらつきながら宿のロッジに向かって歩いていたら複数の国軍の兵士が機関銃を向けながら囲んできた。「アホらしい。どうみても外国人だろ。馬鹿野郎」とそのまま行こうとしたら押し倒されて後頭部に銃口を押し付けられた。
これまでの人生で何度か銃口を向けられた事があったが銃口を押し付けられたのはこの時が初めてだった。この違いは経験してみないと分からないだろう。一瞬、フリーズしたような。あれはツーンと重たく冷たかった。
最終的にはパスポートを見せて釈放されたが彼らの傲慢さにあの領収書を切ってくれたマオイスト連中の方がまだ良かったと腸が煮え繰り返る思いだった。
外国人の登山隊にもそうなってしまうのだから、それだけ国軍がマオイストに追い詰められ余裕がなかったということになるのだろう。
そして、ついにネパール軍もネパール政府もマオイストに屈する事になる。カンボジアがあのポルポトによって陥落したように。
特に近年、親中派とされてる人が総理となり、その影響なのか分からないがカトマンズのタメル地区の一角がまるでチャイニーズタウン化してきた。中国やインドといった大国に挟まれているネパールは絶えず難しい舵取りを迫られてきた。
そしていつしかインドではなく中国側にネパールがすり寄っていっているというのが一般的な見方ではないか。
内戦終結から共産党系が政権与党を担ってきたが、政治家のみならず役人まで堂々と賄賂を要求してくるようになったとカトマンズの実業家や経営者たちからよく耳にするようになった。
ネパールはその以前から賄賂社会だったが、共産勢力が国を支配するようになると要求が露骨になってきたと。
かつてはテーブルの下からこっそりと渡していたのが今ではテーブルの上に堂々とおいて金額を確認するようになったのだと。
共産主義国の賄賂文化は何もネパールだけではなく本家もそうだろう。そして、またよく耳にするのはコネ社会。政治家や政府高官の子供たちが優遇されていく。今回の動乱も一つには政治家や高官らの子どもたちがSNSなどに自分たちの贅沢な生活ぶりを見せびらかすかのように投稿していたのが火に油を注いだのだ。
「弱者のための共産主義というのは嘘だった。彼らこそが特権階級で一般市民を虐げている」とネパール人から散々と愚痴を聞かせれ続けてきた。
ただ共産圏の歴史を見ればそんな事は「今更、何を言っているのやら」と。それでありながら国政選挙ではおおよそ共産系が勝利を収める。もはや愚痴を聞くのもアホらしいとさえ感じていた。
国政選挙中にこのエベレスト街道にいた事があるが、村中に共産党系の支持者のポスターが貼られ、赤い旗を掲げながら演説をする若者の姿が目立っていた。
僕のシェルパたちに「共産党は国によっては認められていない。日本にはあるはあるけれど決して大きな力を持っていない。ネパールは何でいつまでも共産党なの」と聞いた事がある。
その返答は至ってシンプルで「だって皆んなが喜ぶことしか言わないから。だから、教育を受けていない人はみな、騙される」。なるほど。分かりやすい。でも、そう話していた彼らの地区では共産党系が勝利したような...。
僕からしたら国が安定さえしてくれれば何ら影響はないとネパールの政治にさほど感心を寄せていなかった。
そしてこの度の動乱がおきた。