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2008年冬ヒマラヤ , ヒマラヤ

しなければならないこと

2008年冬ヒマラヤ , ヒマラヤ

2008/01/10

しなければならないこと

1月9日、チュクンからアイランドピークのハイキャンプを目指したが、強風のためベースキャンプにテントを張ることになった。カラパタールに登頂し たころからレンズ雲や筋雲が目だっていたので、そろそろ天候が崩れるだろうと気にはしていたが、この日は朝から風が強かった。ベースキャンプ入りした時に は強風で歩くのもきつかった。

強風の中、テントを撤収

強風と共に雲がアイランドピーク

10日はベースキャンプから一気に山頂アタックかぁ~とちょっと気が重かったが、天候さえ見方してくれればやれないこともないと寝袋に潜り込んだ。アタッ ク開始は1月10日、午前3時となった。午前2時に起床、すぐにテントから顔を出し夜空を眺めてみたらチュクン方面から黒い霧が音を立てることもなくスー とこちらに流れてくるのが不気味で、かといってその時点でアタックを中止するほど条件も悪くなく、アタックするのか、しないのか正直迷ったが、迷った時は 止めようと決めているので午前5時まで待ってそこで判断しようと待機することとした。

悪天候ゆえに進むか撤退かの議論の様子

韓国隊は午前2時前にはベースキャンプからアタックを開始していた。シェルパのダワ・タシは「アタックしないか」としきり に勧めてきたが、「ピン!」と来ない時にはアタックしないのが私の流儀。午前5時、再び空を眺めたがどす黒い雲がさらにアイランドピーク周辺を覆ってい た。そしてアタック中止を決定。決定してから風がどんどんと強くなり午前7時にはベースキャンプは歩けないほどになっていた。午前8時ごろ、アタックして いた韓国隊の一部の隊員がフラフラになりながら撤退してきた。上部では吹雪になっていたとのこと。危険を感じた彼らはそこから引き返してきたが、それでも 他の韓国隊隊員とシェルパ、そしてダワ・スティブンの合計8人が山頂アタックを続行したとの知らせに驚いた。午前3時にダワ・スティブンに「天候が崩れそ うだからアタックしないほうがいいよ」と伝えていたが、韓国隊とともに山頂に向かっていたのだった。登山は最終的には自身での判断。冒険活動にはいつでも 自己責任が求められるもの。無事を祈るしかない。

我々は午前10時に強風の中、テントを撤収し、撤退。もう一日、待機して11日にアタックの可能性を残そうかとダワ・タシ と話し合ったが、14日にはルクラ村から世界最大級の氷河湖と呼ばれているツォ・ロルパ氷河湖(ロールワリング地方)にチャーターヘリで向かうことになっ ている。アイランドピークに登りたい思いと、ツォ・ロルパ氷河湖を視察しなければならないという気持ちの葛藤。したいことと、しなければならないこと。優 先させるは「しなけらばならないこと」。

砂嵐の中、撤退を決断

エベレストの清掃活動は、しなければならないこと。チベット側からエベレストに登りたいという気持ちが強かったが、清掃活動に目処がたってからにしようと 我慢してきた。そしてやっと昨年の春に念願のチベット側からの登頂を果たした。これは心底したかったことだ。しなければならないことの後に、したかったこ とを実現したので喜びもその分だけ大きかった。

アイランドピークBC周辺からのイムジャ

イムジャ氷河湖

とくにヒマラヤの 氷河湖問題はアジア・太平洋サミットで訴えてきた。そして次は洞爺湖サミット。アジア・太平洋水サミットはNPO法人が主催だったので私のような民間人で も運営委員として加われたが、洞爺湖サミットはそうないかない。したがって洞爺湖サミット前までにどれだけ外野で訴えることができるか。その為にはツォ・ ロルパ氷河には是が非でも訪れてみたい。

韓国隊やダワ・スティブンの無事下山を祈りつつ、後ろ髪を引かれながらアイランドピークを背にディンボチェ村まで下った。

ディンボチェ村まで下りホッと一息

 

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