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戸塚ヨットスクール、戸塚宏先生との対談

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2008/08/03

戸塚ヨットスクール、戸塚宏先生との対談

先日、産経新聞から出版されている月刊誌「正論」にて戸塚ヨットスクール校長の戸塚宏氏と対談を行った。
戸塚先生の著書「本能の力」(新潮新書)を拝読し私なりに共感する部分があまりにも多かった。「正論」の方には
私の方から戸塚先生との対談を行いたいとお願いし実現させていただいた。
戸塚
戸塚ヨットスクールの戸塚校長と


以前、私が書いた「確かに生きる~10代へのメッセージ~」(ごま書房)にも戸塚ヨットスクールについて「犠牲者を出した戸塚ヨットスクールは社会問題となり、戸塚さんは塀の中に入った。まるで極悪人かのような報道をされたけれど、しかし日本中から家庭内暴力や不登校の子どもたちに悩む親たちが、戸塚ヨットスクールに入れれば子どもたちが変わるのではないかと、すがる思いで戸塚ヨットスクールに託した事実を無視してはいけない。そして多くの子どもたちが戸塚ヨットスクールで助かった事実を忘れてはならない」と書いたが、今回初めて戸塚宏先生にお会いしその思いがさらに強くなった。

戸塚ヨットスクール事件後、「体罰は悪だ」と教育評論家は声を上げた。そして「子どもにはゆとりが必要だ」といって「ゆとり教育」が始まった。その「ゆとり教育」の結果、日本の教育は良くなったのだろうか?「ゆとり教育」とは別かもしれないが、学校などに講演しにいくと先生と生徒の間にまったく緊張感がなく、まるでお友達のように「ため語」で話し合っている姿に、日本社会では敬語など死語なの?と思えてしまうほどルーズな関係であり、はたから見ていると子どもたちに迎合している大人の姿が実にみっともなくまた情けない。

 講演中に騒ぐ生徒がいても先生方は知らん振り。注意もしない。仕方がないので私が騒いでいる生徒に怒鳴る事になる。怒鳴ってみると生徒たちは心底驚いた顔しキョトンと、ただ面白いもので子どもたちの覚めたようにキラキラし私の一言一句に聞き入るように会場がグッと集中するのが壇上にいて全身で感じている。
 
 講演後の校長室では講演中に怒鳴った私に対して憮然とした校長先生の表情が向けられ、なにそれ!と「本来ならば校長先生であるあなたが生徒に怒鳴るはずです」と嫌味の一言を残して校長室を後にするのだが、帰宅して自身のHPの掲示板を開いてみると怒鳴った学校の生徒たちから「大人が怒鳴っている姿が新鮮でした。ありがとうございました」「本気で接してくれる大人は初めてでした」などの言葉がズラリと並んでいる。あの憮然とした校長先生の顔を思い出しながら、彼らには伝わらなかったけれど子どもたちには伝わっていたと安堵していた。しかし、怒鳴って感謝されるというのはつまり日頃の大人たちが怒っていないということでしょ。子どもたちのメッセージに素直に喜べなかった。

戸塚先生の体罰とは「相手の進歩を目的とした有形力の行使、力の行使」です。あくまでも「相手の進歩を目的とした」ものであり、イライラしたからといって子どもを殴るのは体罰ではなく虐待とのこと。「体罰」と「虐待」の定義の違いを分かりやすく戸塚先生はお話されていたのが印象的であった。マスコミ含め多くの人が「体罰」と「虐待」を混合していないだろうか。

戸塚さん

そして戸塚ヨットスクールが目指したのは「質の高い不快感」を生徒に体験させることだった。人間の行動原理は突き詰めて言えば「快を求め、不快を避ける」と言うことになる。確かにその通りです。私だって山に登るよりも家でゴロゴロしているほうが肉体的に楽に決まっている。しかし、それでは自身の進歩がないとあえて厳しい条件を背負ってヒマラヤに挑戦するわけで、戸塚校長の「人間が成長するためには「不快」が必要不可欠です」との言葉に私自身の経験からも大いに納得させられた。詳しくはこれから発売する「正論」を読んでいただきたいが、あえて厳しい環境の中に身をおいて、時に死の恐怖と戦うことによって「何が何でも死にたくない」と生に対する執着心が芽生えるもの。戸塚ヨットスクールは極限状態を子どもたちに体験させ脳幹を鍛え生命力をつける教育なのだ。

近々、戸塚ヨットスクールの見学にも出かけてみたい。あの事件で戸塚イズムが否定させるものではないと私は考えている。それどころか、戸塚ヨットスクールは今の日本社会に大きなメッセージを投げかけているような気がしてならない。

「正論」(産経新聞社)
戸塚ヨットスクール校長・戸塚宏氏との対談
9月1日発売の10月号

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