2015/03/05
本日掲載された産経新聞連載「直球&曲球」ですが、「イスラム国」による日本人人質殺害事件で改めて考えさせられた「国による情報収集」のついて、私なりの意見を書かせてもらいました。ぜひ、お読みください。
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「国家による情報収集を真剣に議論せよ」
湾岸戦争時の1990年12月だったか、ふと新聞に目をやると「イエメン日本大使公邸に爆弾」との見出しが飛び込んできた。背筋が凍りついた。当時、父は日本大使としてイエメンに赴任していた。その頃、日本政府は多国籍軍に対し130億ドルの資金援助を表明。親イラク感情の強いイエメンで対日感情が悪化するのではと囁かれていた。そして、最も恐れていたテロが起きた。手榴弾が大使公邸に投げ込まれ、爆発したのだ。父は不在であったが、母は2階でじっと身を潜めていた。家族が狙われた湾岸戦争は僕にとっても衝撃的であった。
外務省を退官した父に心残りはあるものか、と尋ねたことがある。しばし沈黙の後に「外交で最も大切とされるのは「情報収集」だが、我が国では基本的に重要視されなかった」と呟いた。
湾岸戦争の時、日本の新聞が「イエメン、外務省前に50万人規模のデモ」「イラク軍の戦闘機がイエメンに避難か」と報じられると日本の政治家や外務省が慌てふためいた。しかしそれらの報道は憶測でしかなかった。メディアの情報に国が振り回されている姿を見て「独自の情報を持っていないからだ」と情けなかったそうだ。
またあるアラブ諸国の諜報員と接触し、情報を探ろうとした父に対し「諜報機関は諜報機関を相手にしか情報は交換しない」とかわされたそうだ。日本には独立した諜報機関がない。父は主に各国大使館やイエメン政府から情報を集め、本省に伝えていたが高度な情報収集には限界を感じていた。そしてガッカリさせられたのは本省からも高度な情報を求めてこなかったことだ。国の根幹であるべきはずの安全保障を米国に頼り続けてきた日本の「成人していない姿」をそこに見たのかもしれない。
「イスラム国」のよる邦人人質事件に於いても情報を他国に頼っている状況では限界があっただろう。国家による情報収集のあり方を真剣に議論するべきだ。日本にとっての脅威は何もテロ集団「イスラム国」だけではなく、近隣諸国が含まれている事を忘れてはならない。