本日発売の産経新聞に野口健連載「直球&曲球」が掲載されました。
今回は、田部井淳子さんとの思い出を少しばかり、書きました。ぜひ、ご覧ください。
「田部井淳子さんの格好いい生きざま」
2016年11月17日産経新聞掲載
亡くなった田部井淳子さんの「それでもわたしは山に登る」を改めて読み返した。1996年、ヒマラヤのチョーオユー峰(8201メートル)挑戦の時に初めて出会い、その10年後、マナスル峰(8163メートル)でも一緒になった。
女性初のエベレスト登頂者、田部井さん。当時、まだ学生だった僕には雲の上の憧れの存在。その田部井さんに、チョーオユーで、「学生さん。よく1人で来たわね。遊びにいらっしゃい」とテントにお呼ばれした。僕はガチガチに緊張していた。
彼女は8000メートル峰でありながら、まるで遠足に出かけた子供のように目をキラキラさせ、「ヒマラヤの空気が好きなの。この年になってからもヒマラヤに挑戦できるのだから私は幸せ。23歳のあなたはまだまだこれからね。あっ、そうそう、山は生きて下りてこなければダメだからね。それだけは守りなさいね」と。先に登頂した田部井さんは「頑張って、またどこかで会いましょう」と気持ちよく去っていった。
10年後のマナスル峰挑戦中、悪天候が続いたうえ、登山隊員の人間関係にストレスをためていた私に、田部井さんは、「野口さん、ちょっといい?」と。「あなた、隊長でしょ。隊長は感情を顔に出してはダメ。みんなあなたの顔を見ているのよ。大変な時こそ平然としていなさい」
そして抹茶セットを取り出し、「私もね、頭にくることあるのよ。そんな時はテントの中でお茶を点(た)てるの。シャカシャカとやっていると心が穏やかになる。隊長は隊員の命を預かっているのよ。隊長がイライラすると隊全体に蔓延(まんえん)してしまう。隊長は孤独なもの、それがリーダーなのよ。はい、どうぞ」と点てた抹茶を。温(ぬく)もりに不覚にも一粒の涙が流れた。テントを出ようとしたときに肩をポンとたたかれ、「隊長さん、しっかり! 応援しているから」。
田部井さんは、がんで余命を宣告され、副作用で足が痺(しび)れながらも山に登り続けた。「力尽きるまで自分のペースで楽しく突き進む。今を精いっぱい過ごすことが私の歴史になってゆく」。田部井さんの格好よかった生きざまを胸に僕はこれからも山に登る。